私たちと高須幼稚園との最初の出会いは園庭開放でした。
入園前に初めて行った場所で、のびのびとキラキラした笑顔で遊ぶ我が子を見て、高須幼稚園に入園しようと決めました。
我が子にとっては生まれて初めての集団生活で、親子共々探り探りで始まった幼稚園生活がスタートし、最初は少し不安もありましたが、楽しそうに登園する我が子の姿を見て、その不安も一瞬で消えました。
高須幼稚園は自然豊かでアットホームな幼稚園です。四季折々の草花や虫などの自然と触れ合い、肌で感じながらのびのびと過ごせるところがいいなと思います。
でも、なんといっても高須幼稚園の魅力は園の先生たちです。先生たちは、子ども一人ひとりに目を配り、子どもと同じ目線でその子に合った対応をしてくれます。どの先生でも我が子の様子を知っていて、担任でなくても園での様子や子どもの話をしてくださり、本当に一人ひとりをよく見てくださっています。子どもの話をよく聞き、子どもの「やりたい!」という気持ちを大事にして全力で受け止めてくださる先生たちばかりでしたので、三年間安心して通園させることができました。子どもたちと一緒に泥んこまみれになったり、園庭で子どもたちと全力で遊んでいる姿が今でもとても印象に残っていて、我が子にとって初めて親元を離れて出会う大人が高須幼稚園の先生たちで、本当によかったと思います。
園での音楽会や運動会、どの行事も大切な思い出として心に刻み込まれています。なかでも、生活発表会で年長組が行う劇は、衣装や道具、セリフまですべてを子どもたちと先生が一緒になって考え作り上げていて、みんなの思いが詰まった劇を見たときはとても感動しました。
大好きな友だちや先生たちに囲まれて、仲間と遊ぶ楽しさ、一緒に何かを達成する満足感など多くのことを学ぶことができた三年間でした。温かい先生方に見守られて充実した園生活だったせいか、幼稚園が大好きすぎて休みの日も行きたがるほどでした。
時には先生たちに子どものことで相談に乗っていただいたり、アドバイスをもらったり、本当にお世話になりました。卒園した今でも親子で高須幼稚園が大好きな私たちです。
高須幼稚園で素敵なお友だちや先生と出会い、楽しく過ごせたことに今でも感謝しています。
高須幼稚園のことは、もう40年以上前のことで正直あまり覚えていません。
覚えているのは、3つ。発表会で赤ずきんちゃんをやりその発表会で狼か何かの衣装を着たこと、N.T君という仲の良い友達がいて彼の家にはコリー犬がいてとても羨ましかったこと。でも、これらはどれもかすかに覚えてる程度。
そんな中で強烈に覚えているのが、折り紙を作る時にハサミを上手に使えなくて、子ども心に、自分はなんて不器用なんだろう(そんな言葉を知っていたとは思えませんが)と、悔し泣きしながら、歯を食いしばって折り紙を作ったことです。思えばあの頃から負けず嫌いの性格だったんだな、と今これを書きながら苦笑しています。
私は今、国連児童基金(ユニセフ)という国際機関で、途上国の子ども達が大人になって社会に出てからしっかりと人生を歩んでいけるよう、教育分野の量や質の向上を目指す業務に関わっています。その前には日本のJICA(Japan International Cooperation Agency)や日本大使館、三菱商事等で勤務してきましたが、いずれも海外勤務です。これまで、ザンビア、モザンビーク、ケニア、イエメン、アンゴラ、トルコで勤務をし、今は再びモザンビークで仕事をしています。
坂本龍馬に憧れ、広い世界に出て行きたいと思っていましたが、高校生の時にあった第一次湾岸戦争で世界をさらに意識するようになり、国連職員になるという夢を持ちました。そして、30年後にその夢を実現できたのは、子どものころからの負けず嫌いが後押ししてくれたからなのかもしれません。その性格をあの時の折り紙が引き出してくれたのか、もともとの性格なのか、今となっては分かりませんが(笑)、そういう意味では不器用さも悪くなかったのかもと思っています。40年以上経って、こうして高須幼稚園に再び関わることができてうれしく思います。今後の益々のご発展を祈念申し上げます。
途上国の小学校で、先生、生徒、PTAのみなさんと、この学校の給水衛生状況について話し合いをしている様子。
途上国の学校は、トイレがない、トイレはあるけど洗面所がない、数が少ない、壊れている、水がない場合がある。
さらに新型コロナウイルスの問題が重なり衛生状況の改善・確保等、教育以外にも改善するべき重要な問題が多い。
トルコ(ガジアンテップ)
シリアの国内避難民を支援した際に同僚たち。(左から3番目、大平さん)